ここのところゲームで遊んで夜更かしと朝起きるのが遅くなっている。

休みの日は9時頃起きるし、実力テストの日は午後登校にかまけて11時半起床、9時15分起床。
土日は昼まで寝てた。

この起床時間の遅れは週明けの登校に影響しないわけがない。
案の定、月曜日の起床は8:55。不登校支援教室に行き始めてから最も遅い。

慣れると油断する。生活リズムを自ら正そうとしない。親が起こさないと甘えて起きてこない。中3にもなって起こしてもらう習慣になってるのが不味い。こういう時は厳しく荒療治が望ましいか。

月曜日はなんとか自分で起きてきたという事で弁当の用意は手伝ってあげた。

このとき「自分で起きたから手伝ってあげる」と言えばよかった。子供の行動、思考を先々予想して親は行動しておかないといけないと思った。なぜなら次の日は・・

火曜日、こんどは自分で起きてこない。仕方がないから8:55に起こしてやった。子供の部屋には目覚まし時計がジャンジャン鳴っている。加えて先週から取り入れた光目覚まし時計からも音が出てギラギラまぶしい光が放たれている。

けど音も光もまるで関係ないように目が覚めない。ある意味これは逆に凄いことだと思った。

起こしたら起きてきた「弁当手伝ってほしい」とぬけぬけと言ってきたので今日は「自分でやりなさい」と言った。

親が手伝ってくれるから遅く起きても構わないという思考になっていると思われる。あるいは思っていなくても元来沁みついた習慣が本人も知らずにその行動を引き起こしているのかもしれない。厳しく言うときは言わないといけない。

昨日車でラジオを聴いていたらこんな話があった。

28歳の女性、母子家庭で育ち17歳の高校生の時に「パニック障害」になった子の話。高校の時、病気を言い訳にやらなきゃいけないことをやらないでいた。そんな彼女に母親が厳しく言った「病気だからって怠けてちゃダメでしょ!」と。その当時の子は「病気なんだから出来るわけないじゃない」と反論して仲が悪くなっていったそうだ。

いま28歳のその女性は今の自分の立場になってようやく当時の母親の気持ちがわかってきたと。そしてあのとき全く聞き入れられなかった自分に反省し、それでも何度も話をしてくれた母親に感謝をしている。

このような話だった。

別に親として子供に感謝をしてもらいたいとは思っていない。1人前の人間らしく育ってほしいし役に立つ人間になってほしいと願っているだけだ。そのためには自分自身幸福を手に入れてほしいという事で。

怒りたくて怒るわけじゃない。適切なタイミングで本人に気付かせる必要がある。その表現の仕方が叱るという事もあれば諭すという事もあるだけなのだ。