amae-boy

不登校は甘えというよりも甘やかしたまま育てた結果が大きいと言えます。

甘えと言えば子供の心の問題のように捉えがちです。けどそうさせたのは親の育て方、躾、甘やかしの影響も大きい気がするのです。

学校に居られなくなってしまったのは子供の中にいろんな「嫌」が積み重なってきて、それがあふれてしまった状態です。

どれだけのストレスや嫌に耐えられるか、その容量は子供によって異なります。容器が大きい子もいれば小さい子もいるので中学生になるまで、なってかから、その容器をどれだけ大きく育てられたかによると思います。

ちょっと学校で嫌な事があったら学校に行きたくない、行って嫌な思いをするぐらいなら家に居た方が楽、となってしまいます。

親は子供の召使いじゃない

不登校の子供のなかに家の中は「楽」だけど学校という世界は「厳しい」と考えている子が大半です。

そうさせたのは親ではありませんか。

最近、親子関係ではなく親と子供が友達感覚の親が多いそうです。年上なのに友達感覚というのが染みついていると、学校に行ったとたんに先生も先輩も立場が上となります。上から目線で指示し場合によっては怒られる事もあるわけです。

これは学校という世界が「つらい」になってしまう原因の1つです。

家では召使いのお母さんが朝飯作って、洗濯してくれて、部屋の掃除もして、あれが欲しいといえば一緒に行って買ってあげ、これをやりたいと言えばやらせてくれる。なんと家の中は楽なことか。

子供は中学生ですが学校に行かなきゃいけない事は頭では理解しています。けれども学校に行くとクラスメートから何か言われるかもしれない、どうしよう、と思って学校を恐れだすのです。

家でのんびりしてた子供が学校に来ると友達がつぎつぎかわるがわる話しかけてきたり、あっちでガヤガヤ、こっちでペチャクチャ。物凄いスピードで色んな事が起こっていきます。教室に居続けることが苦しくなってきて、やっぱり学校は駄目だ・・・不登校になってしまいます。

行かなきゃいけない事はわかってるのに行けない自分に自己嫌悪。これの繰り返しです。

親と子供の関係を見直すタイミングでしょう。親は親、しっかり子供を躾け、世間に立ち向かえるように大人になって社会人になれるように教育していかないといけません。

缶詰を開けられない、ドリンクの蓋を開けられない

思い返せば、うちの子はドリンクの蓋さえも親に開けてもらっていました。というか親が甘やかして開けていたという事です。

中学生なのに。私も最初は自分で開けなさいと言って突き放していたのですが、非力で開けられない子供を見て「なんとかやってみなさい」ではなく、私が開けてあげていたのです。

こういった些細な事と思うかもしれないけど一事が万事。ドリンクの蓋さえ親が開けてるのですから、その他の甘えも想像できます。

蓋を開けられない子供が学校で周りの中学生と同じように生活できるはずがありません。

甘えて掃除が出来ない、やらない

うちの子は掃除が出来ません。できないというよりやらないが正しい気がします。だって学校で掃除なんていくらでもさせられてきているわけだし。

けど自宅のリビング、自室、ともに自分の私物が散乱している状態です。親が片付けなさい、掃除しなさい、綺麗にしなさい、と言っても駄目。「やろうと思ってた」「わかってる」「すぐやる」と口では言うものの行動をしません

「いずれ親がやってくれるだろう」と思ってるのかわかりませんが。リビングの物を片付けるとなると、それらを自室に持って行ってばら撒いて終わり。掃除とは言えませんね。

甘えて抱っこを要求してくる

世間の子はいつまで抱っこをするのでしょうか、わからないのですが。中学3年生でも抱っこを要求してきます。もう親と身長も体重も変わらないのに。抱っこといってもハグですけど。

これが家に居る安心感のおおもとになってるのかも?とも思ったり。家に居づらくなれば学校にも行けない子供は自室にヒキコモリになるか、学校にも家にも居場所が無いから非行に走って悪い友人たちとプラプラする事に繋がりかねません。

甘えを辞めれば不登校は解消するか?

ここは非常に難しいです。駄目なことは駄目、躾は躾として甘えさせない態度が必要です。一方で親は子供の味方であるという姿勢も必要です。

例えばスマホをいじって話をきかない、一日中部屋でゲームをしている‥このような状況は甘やかしてはいけない。躾をするときだと思います。子供に気を使って躾が出来ないのは本来の愛情ではありません。子供にビクついててはいけません。ガツンとやるときも必要なのです。

このバランスは難しいように思います。自立心を養い、子供が出来る事を増やして自信をつけていくのを支援することが不登校の解消につながります。