「疲れた」が口癖。
疲れた、疲れちゃった…自分に甘い人間が言う言葉だと思う。
「頑張らなきゃ」「頑張ります」 → 「今日は疲れたからゴロゴロする」
いつもこのパターン。
「疲れた」は魔法の言葉で自分を甘やかす口実になる。
この言葉は使っちゃ駄目なマイナスな言葉。周りも嫌な気分にさせるから友達の前では使っちゃいけないと言っているし、我が家では数年前から禁句にしているが。
疲れたならしょうがない、だって今日は疲れちゃったから頑張る気持ちはあるんだけど頑張れない。今日は休みたい。
聞いててイライラするでしょ。
マイナスな人間には近づきたいと思わない、マイナスな人間は口癖によって友達が離れていくのわかるでしょう。
悲劇のヒロインとか中2病とか関係なく、社会人になってもマイナストークはNGだと思っている。
男性なら尚更ね。女性は同調して疲れたって言う事はあるみたい。
数ヶ月、体調不良で学校行けなくて毎日寝てるような生活だったから体力が落ちてるのはわかる。
体力つけなきゃと言いつつゴロゴロしてたら体力なんてつかんわい。
足を骨折したら骨をくっつけて固定を外して硬くなった関節を動かせるようにリハビリするでしょ。リハビリは辛いけどしないと大変な事になる。
リハビリしたから自分で歩き出せるようになる。リハビリしなかったら2度と歩けない、一生ちゃんと歩けなくなるよね。
それと同じだと思う。
折角、学習支援の方でも毎日教室に通えるようになったのだからここで少しでも負荷をかけて体力も付けていかないと。だって土日の休みなんか1日中遊びに行けるぐらい元気なんだから。
どうにも自分は不幸だと思ってる節がある。
「私と嫁さんは楽しそうに会話をしてる」
だけど
「自分と会話するときは楽しく無さそう」
みたいな事を言ってくる。
被害妄想も甚だしい。自らがそれを引き起こしている事に気づかない。家庭というのは社会の最小単位。
いまの自分の考え方、発言、顔の表情、行動力。親だからこの子のために頑張るし走り回って世話して先生に頭下げてってやるけど、これが友達だったらすぐ離れていくでしょう。
友達が居ない、出来ないのもよくわかる。
そのことを厳しく教えて来たつもりだが改善する気配が無い。いつまで不幸自慢してるんだろうね。
言葉のパワー
昔実験をしたことがある。タッパーを2つ用意して炊き上がったばかりの白飯を入れる。青のタッパーには「ありがとう」という言葉をかけながら。赤のタッパーには「死ね」とか「バカ」とか言いながら。
それで青タッパーには「ありがとう」を書きまくり、赤タッパーには「死ね」を書きまくる。この状態で1か月放置するという実験。
1か月しないうちに差が出てくる。青タッパーは白いご飯のままなのに、赤タッパーのごはんは茶色く黄色くなってくる。1か月後には歴然とした差ができてた。
この実験が何を意味しているのか、それは言葉のパワーだ。嘘のようなホントの実験。みなさんも家でやってみてください。
科学的に説明できないことって起こるんだな、と理系の自分は思ってしまった。けど、実際には「タンパク質やら炭水化物やらを破壊するフリーラジカル」が影響しているらしい。人間はストレスをうけるとフリーラジカルを発生して細胞を攻撃するんだそう。
自分が知らずのうちに「死ね」とか言いながらご飯をつめてたので、フリーラジカルが発生してそれが原因でごはんの腐食が進んだという話。
ということはどういうことか?
マイナスな言葉を使ってる人間は不健康になるということだ。人間の細胞だってタンパク質でできてる。フリーラジカルが発生して老化(がん化)が起こるのは明らかにされている。
だから、「疲れた」だの「面倒くさい」だの「だるい」だのは言っちゃだめなんだ。